皆さんこんにちは!
V字回復コンサルタントの李です。
本日は、コラムをお届けします。
ノーベル賞。
今年も受賞者が発表されました。
毎年、すごいなぁと何気なく見ているこのニュース。
ところが、今年の受賞者の一人が、例年とは違った見方を与えてくれました。
与えてくれたのは、ボブ・ディランです。
ノーベル文学賞受賞が決まったことに対してボブ・ディランが、沈黙を続けているようです。
この態度に対して、ノーベル賞選考委員長が「無礼で傲慢だ」と言ったとメディアが報じました。
沈黙を続けるボブ・ディラン。
怒れる選考委員長。
そして、毎年受賞者の数を数えながらお国自慢をするマス・メディア。
ボブ・ディランの沈黙をきっかけに、私自身、考えさせられるものがありました。
果たして、傲慢なのはどっちなのだろうか?
権威が如何ほどのものなのか?
ノーベル賞を受賞したボブ・ディラン、ノーベル賞を受賞する以前のボブ・ディラン、
彼の歌の素晴らしさに何か違いがあるのだろうか?と。(特にファンにとって)
なぜ、ボブ・ディランが沈黙を続けているのかその真意はわかりません。
そして、今後も沈黙を続けるのかわかりません。
しかし、これを機に私は、「生き方」について改めて考えることができました。
自ら掲げる理念と目標に向けて邁進する生き方。
カネや権威を欲し、世間体に振り回される生き方。
果たして、自分はどう生きるべきか。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。」
マルティン・ルターのこの言葉がふと脳裏をよぎりました。